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モノガタ x L'Express
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こんにちは。6月23日(火)です。
今週のメールマガジン モノガタ レ クスプレス をお届けしています。
 
#133 < 物語りのスパイス - 悲哀 > がんばれ!不死鳥、ザナルディ!
// 上り坂オールージュから 下り坂コークスクリュー

テレビでは分からないけれども...

今回はとあるレーシング・ドライバーの話を。わたくし、2009年に三重県鈴鹿サーキットで実物のF1を観戦したことがあります。

テレビでは分からいことが3つありました。ひとつはレーシングカーの爆音。これはよくコメディで表現されますが、本当に音が大きい。完全に声がかき消されます。と言いますか、サーキットについて初めてその爆音を聴いたときには、何が起きたのか把握できないほどです(^^) 音というレベルを超えて、体感になっているからかもしれません。

そして2つ目。サーキットの高低差が想像以上にある、ということ。たとえば鈴鹿サーキットのスタート地点はテレビだと限りなく平坦な道に見えるのですが、実際はかなりの坂道(下り坂)でした。その他の場所も同じく、高低差はかなりなもの。まさしく山を切り開いてつくったものがサーキットなのです。

最後の3つ目。ドライバーの運転が目に見えてわかる、ということ。なにを当たり前なことを、とお感じになるかもしれません。しかし、生でドライブを見ると、そのドライバーが自分の限界を超えてチャレンジしているか、はたまた無謀に運転をしているだけなのかがハッキリわかりました。

2009年、わたしが観戦したのはヘアピンカーブという場所。名前の通り、ヘアピンのようで180度方向転換をする急カーブ。200km近い速度で走ってきたF1カーが、数十メートルのブレーキで100km以下まで速度がおち、そのまま急カーブを抜けていく場所です。

※ちょうど2009年の鈴鹿GPで、ヘアピンカーブの動画があったのでリンクを貼っておきます。
https://youtu.be/VsC7IN-Zzk0

なぜこの場所にいたのかというと、毎年鈴鹿でF1観戦をしている知人にチケットをとってもらったからでした(もちろん、ヘアピンカーブがおすすめという理由で)。

この場所もテレビ見ると退屈な場所なのですが、生で見ると相当にダイナミックです。

なにしろF1カーが数秒で急激に100km以上速度を落として、180度近く旋回をして走り抜けていく場所ですから。

それゆえ、ドライバーの頑張り(気力)を身近に感じることができるのです。

当日、素人目ながらわたしが印象に残ったドライバーがいます。中堅チーム(フォース・インディア※上の動画で白ベースで、緑とオレンジストライプの車)で走っていた、ビタントニオ・リウッツィというイタリア人のドライバーです。

予選では限界までブレーキを遅らせるも、コーナーを曲がりきれず、でもコースアウトはしないという気合の走りを見せてくれていました。もちろんレース当日もかわらず限界まで攻めていたのが印象的でした。

リウッツィがコーナーに近づいてくると、見ているコチラ側もこぶしを握りしめて、きれいに走り抜けるか一喜一憂する感じでした。

中堅チームの走りはテレビにはなかなか映らないのがF1放送ですが、走りで魅せるドライバーっているのだなと強い気づきをもらったレースウィークでした。

そして、同じくテレビ越しながらも、攻めた走りでハラハラ・ドキドキ感情移入をさせてくれたドライバーがいます。

同じくイタリア人、アレッサンドロ・ザナルディです。

 

苦難、栄光、苦難、苦難、栄光、苦難の人

アレッサンドロ・ザナルディのキャリアはまさしく山あり谷あり。

元F1ドライバー、米国メジャーレース "インディーカー"チャンピオン。そして、パラリンピック - ハンドサイクルのメダリスト(金4枚・銀2枚)です。

そして、先の6月19日。衝撃のニュースが入ってきました。ザナルディがハンドサイクルのレース中に、コースを外れ、トラックと衝突し重体に陥ったというのです...

わたしがF1を見始めたのは1991年終盤から(中嶋悟の引退レースとなった鈴鹿GPから)。たまたまですが、ザナルディがF1デビューをしたのもこの年でした。

ザナルディは合計2回、F1に挑戦しており、その2回とも残念ながら結果を残すことができませんでした。しかし、この2回のF1チャレンジもドラマチックなものでした。一回目は魅せる速さがありながら結果を残せなかったイタリアンルーキー。

そして二回目はアメリカメジャーレースの(圧倒的な)2年連続チャンピオンとしての凱旋F1再デビューだったのです。

苦難(F1ルーキー)、栄光(米国チャンピオン)、苦難(F1凱旋も結果を残せず)ですね。

1991-1994年のF1ルーキー時代は、彼のチームメイトも速さで定評のあるドライバーでした。そのチームメイトと同じようなスピードを出していたので、ザナルディが注目されていたのは言うまでもありません。

ただ、クラッシュしがちで、1993年には大クラッシュをしてシーズン途中で戦線離脱をするほどでした。そのクラッシュシーンはわたしも背筋が凍る思いをしたものであったのですが、わたしが2009年に鈴鹿GPで見たビタントニオ・リウッツィのような攻めた走りをしていたのだろうなと、いま思います。

ザナルディは残念ながらF1で結果を残すことはできませんでしたが、その才能はアメリカのレースで開花。1996年にデビューをし、いきなりトップ戦線へ。翌年1997,そして1998年と連続チャピオンになります。

彼の走りはアメリカのファンの心をつかむものでした。ここにあまりにも有名なオーバーテイク(前の車を抜く)シーンがあります。動画を貼り付けておきます。

追い越しのスリリングさから「 The Pass 」と名付けられたほどです。赤い車のザナルディが2位。最後の周回で、普通は追い越しをしかけない場所で追い越しをしかけ1位をもぎとったのです。

参考まで)動画 The Pass のシーン と 高低差がわかる写真
https://youtu.be/mKyqWDUsuoQ

https://www.flickr.com/photos/psychasec/1701640182/ (写真)


わたしがザナルディはすごいなと思うのは、F1で大クラッシュを演じたのはベルギーのサーキットで世界屈指の上り坂オールージュだったこと。そして、この The Pass を成し遂げたのは逆に世界屈指の下り坂コークスクリュー(ラグナセカ)だったこと、です。

ザナルディの度胸たるや...いやはや。

参考まで)オールージュという屈指の上り坂のF1シーン(動画)
https://youtu.be/l9zf8JBi66c

彼はここだけでも物語り、いや伝説を作っています。

伝説を作っての、F1凱旋をするも...

 

挫折、挫折、栄光。そして...

ザナルディはF1のトップチームにて1999年に再デビューを果たします。しかし、いろいろな理由があり結果を残せず。2年契約のうち、わずか1年でチームとザナルディ双方の合意で契約を解除。F1キャリアを終えることになりました。

そして1年間休みを挟み、2001年に再びアメリカレースにカムバック。

しかし、さらにザナルディに不運が訪れます。レース中に大事故に巻き込まれ、両足を切断することになってしまったのです。

命を取りとめたことを幸いとして、普通はここでレース人生を諦めるのかもしれません。けれどもザナルディは違ったのです。

レースに対する情熱がザナルディを生かしているのでしょう、両足切断から2年経たずして、事故を起こしたコースを選び、レースカーに乗り込んで走り直し。自らの恐怖に打ち克つ行動をしたのでした。
※もちろん車は特別仕様で、両手のみで動かせるレースカーです。

このころより、ザナルディはまさしく "不屈の闘志をもつファイター" として尊敬を集めるようになったと思います。少なくとも、わたしはこのニュースを見聞きし勇気をもらいました。

その後、そのままザナルディは他のレースシリーズに参戦し続けることになったことは知っていましたが、思いもよらぬところからザナルディの名前を聞くことになりました。

それはパラリンピック金メダリストとしてのザナルディでした。

彼は2009年にカーレースを引退し、並行して取り組んでいたハンドサイクルの選手となっていたのです。そして、2012年ロンドンパラリンピックでメダリストとなったのでした。

そして2016年のパラリンピックでもメダルを獲得し、この東京パラリンピックを目指していた矢先の冒頭のニュース。

6月19日。ザナルディがハンドサイクルのレース中に、コースを外れ、トラックと衝突し重体に...

海外のニュースをチェックしていますが、重体ながらも容態は安定しているとのこと。ただ、神経がどこまで快復できるか。いまは意図的に睡眠状態に置かれているようです。

どのような状況であれ、また姿を見せてほしい。そう願います。

がんばれ!ザナルディ!

Forza Zanardi!!

 

コーヒーブレイク

F1は、メジャーだけどメジャーでないスポーツと思うことがあります。海外(欧州)の合気道家とF1の話をしてもつながらないことが多いのです。

たとえば、日本でも有名なフランス人ドライバー、アラン・プロスト。日本人が愛したあのアイルトン・セナの先輩であり、宿命のライバル。

フランス人の合気道家に、アラン・プロストのことを尋ねたら "誰だそれは" という反応でした。のみならず、"「プロスト(prost)」という名前はフランス由来ではない。その人はドイツ人ではないか" という反応だったのです。

プロストはいまもルノー(フランス自動車メーカー)F1チームの監督をしているのですが...なんとも、欧州の奥深さ(!?)を感じた瞬間でした、笑


:::編集後記:::
4/7あたりから本を読んでも頭に入らない状況が続いていましたが、先週末から脱した模様です。なにが原因だったのかわかりません。この状況下、いろいろな影響を受けていた(正確には進行中)のだと思います。

 
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