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第5回 ラテン・アメリカ/スペイン語


アジア系とヒスパニック系が多く住むジャクソン・ハイツの駅で

コロナウィルスの影響で、アメリカでも、イベントや会議の中止・延期がどんどん増えています。コロナ関連は情報過多なので、今回はすぐ本題に行きたいと思います。

ニューヨークに来てから、知りたいのにわからない、もどかしく思っていたテーマのひとつがラテン・アメリカからの移民、ヒスパニック/ラティーノのことでした。ヒスパニック系の移民は、2018年の統計で、ニューヨークと近郊の人口の25パーセント、アメリカ全土の人口の18パーセントを占めます。毎日、道で、お店で、地下鉄で、スペイン語が話されているのを聞きます。まるでスペイン語が公用語のようです。アメリカに住むのだからちゃんと知っておきたいと、私は去年の秋、コロンビア大学の「Center for the Study of Race and Ethnicity(人種とエスニシティ研究センター) 」で開講されることになった「LatinX History(ラテンエックスの歴史)」という授業の初回に行ってみました。しかし!自己紹介から私は圧倒されてしまいました!15人ほどいた学生のほぼ全員がラテン・アメリカにルーツを持っていて、英語が母語の子もいればスペイン語が母語の子もいましたが、多くがどちらも話せるバイリンガルだったのです。私は英語もこれからだしスペイン語はほとんど分からないので、ああ、これは無理だと撤退したのでした。(その分ジャーナリズムと文化人類学をきちんと受講しました…)。

それから半年が経ち、今ではメキシコ、ペルー、ベネズエラ、プエルトリコ、エクアドル、ウルグアイなどの国出身の友人や知人ができました。スペイン語メディアで働く人たちとも知り合いました。スぺインとポルトガルによるラテンアメリカの植民地化の歴史も学んでいます。ヒスパニック/ラティーノの政治参加についても見てきました。少しは勘が磨かれたところで、ヒスパニック/ラティーノの移民メディアのお話をしてみたいと思います。

ちなみに、「ヒスパニック」と「ラティーノ」という言葉はメディアでも専門家の間でも両方使われています。「ヒスパニック」というのはもともとスペインから来たという意味あいがあり、「ラティーノ」はスペイン語と親和性があり、日常的にも本人たちが「ラティーノ」「ラティーナ」みたいな感じで、使っているのをよく聞きます。今回の記事での使い分けは、インタビューや元資料で使われているものはそのまま、本文中では自然に感じる方で表現しています。また、最近では「LatinX(ラテンエックス)」という言葉も使われています。「ラティーノ」だと男性しか示さない、幅が狭いということでジェンダーや背景などいろいろインクルーシブにするのに新しく作られた言葉です。先ほど話したコロンビア大学の授業はそういうインクルーシブな立場を取っていたってことですね。



「デジタル嫌い」のコロンビア人ジャーナリスト

先月、私が拠点にしているCenter for Community and Media (CCM)のイベントで、眼光のするどいラティーノの男性と知り合いました。南米コロンビアの出身で、Queens Latinoという月刊新聞とウェブサイトを経営している、ハビエル・カスターノ(Javier Castaño)さんという方です。「コロンビアって、麻薬で危険」と思うのはもうさすがにやめましたが、身構えました。CCMの職員で私が仲良くしてもらっているジェハンギル・カタック(Jehangir Khattak)さんというパキスタン出身のジャーナリストの友達だったので、和やかに会話をすることができましたが、私が「CCMの移民メディア支援を学んでいる、特にデジタルツールの研修は素晴らしいと思う」と言うと、彼は目をぎらりとさせ、「デジタル化は僕はうんざり。CCMは移民メディアの実態を見ず単に杓子定規に言っているだけだ。移民メディアには役に立たないのに」と言ってきました。私はまさに自分がテレビ・ジャーナリズムのデジタル化を推し進めてきた…しかもアメリカに来た理由の一つが「世界はデジタル化する、それに対応したい」なので、ハビエルさんのコメントに衝撃を受けました。


ハビエルさん(向かって左)とジェハンギルさん(右)

4日後、私はクイーンズ区にあるジャクソン・ハイツという地区に、ハビエルさんを訪ねました。ジャクソン・ハイツは、アジアとラテンアメリカの様々な地域から人が集まる多様性で有名です。(絶対行ってみてください!)


ジャクソン・ハイツの街角のコロンビア系の料理店

ハビエルさんは、その名の通りクイーンズに焦点を当てた新聞をと、2010年にQueens Latinoを創刊したそうです。月刊で部数は2万部、広告収益によるフリーペーパーです。


Queens Latino2月号。表紙はクイーンズにできたサッカーチームより

指定されたメキシカンレストランは午後3時という時間のおかげで空いていて、ハビエルさんはスープを飲んでいたので、私はストロベリーシェイクを頼みました。いいインタビュー環境を作れたかというと、はてなでした。プラスに働くとしたらそれがハビエルさんが指定したレストランで、気持ちが楽だろうということ。こちらからも、ハビエルさんの地元での日常を垣間見ることができます。マイナスに働くとしたら時間が経ってお客が増えて、話すことも話せなくなかもしれないこと…でも、今回を逃したらいつまた機会があるかわかりません。移民メディアの人たちは忙しいのです。



Q.アメリカにはいつ来られたんですか?
A.1984年です。アメリカという国のことをもっと学びたいと思っていたし、このニューヨークを知りたい、英語を上達させたいと思っていました。当時私の姉もすでにここに住んでいたので、じゃ、と来ました。

Q.ジャーナリズムはアメリカで勉強したんですか?
A.ジャーナリズムを勉強したのは…コロンビア、私の出身国で、です。でも、私はこっちの大学、コロンビア大学のジャーナリズムスクールの修士号も持っています。当時コロンビア大ジャーナリズムスクールではパートタイムのコースが開かれたばかりで、フルタイムだと1年なのですが、週2回通って2年間かけて卒業しました。当時は、El Diario La Prensa(エル・ディアリオ・ラ・プレンザ)という日刊紙でも働いていて、学業と両立したんです。


ハビエルさんは、母国コロンビアでも短期間、記者として働き、文化イベントの取材などを担当していました。ニューヨークに来たことで、キャリアが本格的に軌道に乗ったそうです。最初は母国のメディアに向けて書く仕事をしていました。El Tiempoという、コロンビア最大の日刊紙のアメリカ特派員、また、Dinersという雑誌のコラムニストも務め、その後、アメリカが本拠地のEl Diario La Prensaで記者と編集者、さらにHoy Nueva York という日刊紙の編集長にまでなりました。


Q.なぜジャーナリストを目指したのですか?
A.机の前に座っているのが嫌だったんです。動き回って人に会って、いろんな場所に行きたかったんです。質問をしたり、そういうことをしたかったんです。そういうことこそ面白いでしょ。毎日毎日が違う一日でしょ。それがやりたかったんだと思います。それで単に、よりよい仕事をするためにいろいろなスキルや技術を身に着けてきたんです。


麻薬戦争の時代に築いたキャリア

Q.どういう出来事をよく取材してこられましたか?
A.なんでもです。私はなんでも取材します。警察、犯罪、インフレ、住宅問題。毎日外に出ると何かが起きているんですよ!でも、1994年だったかな。この地域で、興味深い調査報道を手がけました。

Q.それはどういう内容?
A.1992年に、私が働いていたEl Diario La Prensaの編集長、Manual de Dios Unanue がこの近所で殺されたんですけれど…。それで、そもそもこの地域で起きている殺人事件について調査してみようと考えました。 私は、El Diarioの紙面を10年分さかのぼってみました。この人はこの住所で殺され、またしばらくして別の人が殺され、というのを読み込んで、リストを作りました。そのうち麻薬がらみだと思われる10件の名前や情報をまとめて、警察に情報開示請求しました。でも、警察の回答は「一件も解決していない」というものでした。当時はとにかく麻薬戦争の最中だったんです。密輸が横行してたくさんの事件がありました。この地域のほとんどの案件は、コロンビア人やラティーノが関係していましたね。



自分の働いていた新聞の編集長が殺された話をするハビエルさんに驚きました。編集長は、当時、ニューヨークの麻薬問題の取材を主導していたそうです。警察は実行犯を捕まえ、殺人は麻薬カルテルの仕業だと断定しましたが、実際に指示をした人物は確保できませんでした。尊敬していた同僚を失い、ハビエルさんは自分たちの地元の刑事司法がどうなっているのかを突き止めたかったそうです。

Q.その調査報道の記事の影響はどうだったんですか?
A.そんなに大きな記事じゃなかったんですよ。読者の人たちはコメントをくれたり、まぁ、いい調査報道ができたとは思いますがね。本当にその頃は、1980年代、90年代というのは、麻薬戦争で。麻薬カルテルがたくさん、ここクイーンズでもすみずみにはびこっているという現実でしたから。私にできるのはその現実を書くことだけでした。


いったい、その報道で警察やコミュニティにどんな影響があったのか!私は聞きたかったですが、同時にそんなに簡単ではないことも感じました。日々殺人が起きているその地域でそこに拠点を置きながら麻薬に関する殺人を対象に調査報道をする、その危険さを考えると、並みならぬ心構えが必要だと思います。最近ではジャクソン・ハイツは「多様性のある地域」としてメディアの脚光を浴びて、観光客も散策に来るようになりました。ハビエルさんは、ジャーナリストは取材する地域の歴史をきちんと知るべきだと繰り返していました。


”デジタル化しても生き残りにつながらない”

Q.なぜ移民メディアのデジタル化に反対なのですか?Queens Latinoだってウェブサイトがあってちゃんと更新をしていますよね?
A.デジタル広告ではお金にならないんですよ。広告主たちは紙の新聞にはお金を払います。私たちの読者は第一世代の移民で、レストランや、新聞ボックスなんかから新聞を取っていくんです。彼らスマホでニュースを読んだりしないんです。彼らがスマホを使うのは、家族や友達に電話するためなんです。ニュース記事を読むために高い通信料を払ったりはできないんです。それに、インターネットは世界のどこからでもつながることがメリットで、大きなメディアはそれでメリットがあるかもしれないけれども、私たちの新聞はそもそもクイーンズ区に特化しているので、ウェブサイトがあるからといってお客が増えるわけでもないんです。それを理解せずにビジネスモデルを間違って、営業をやめてしまった新聞をいくつも知っています。「自分たちの読者やコミュニティにマッチするビジネスモデルとは?」を自問して、要点を抑えていかないといけないんです。


街角にある新聞ボックス。新聞ごとに箱を設置する

私は、CUNY のジャーナリズム・スクールで取っていた「起業ジャーナリズム」の授業で学んだことを思い出しました。「特定の地域の人たちと関係を築きたいときには、物理的な雑誌形式の冊子が効果的」と。私自身も、見かけるといつも、日本語の無料新聞を持ち帰ります。ウェブサイトは単なる存在証明、というハビエルさんの説もわかる気がします。念のために、クイーンズ区と私が住むアッパー・ウエスト・サイド地区でラティーノの人たち10人ほどに話しかけて、スマホでニュースを読むか聞いてみました。すると多くの人が「読む」と答えましたが…そのほとんどが母国のニュースか、アメリカ最大手のスペイン語ニュースでした。限られた母数ですが…移民メディアのニッチさをより感じました。


メキシカン・レストランに置かれたQueens Latino紙


絶え間ない変化がクイーンズの魅力

Q.クイーンズに特徴的なことはありますか?
A.クイーンズは、1990年代から大きく変わりました。みんなもう麻薬のことを話題にしません。実際には麻薬はまだありますがね。いまニューヨーク市やこの地域の人たちが取り組んでいるのは、司法制度の改善とか、LGBTQの人たちの権利とかですね。

クイーンズは絶え間なく変わり続けています。それがこの地域の魅力だと思います。たとえば、1905年とか1910年、1920年代など、クイーンズの開発が始まった時期に建てられた建物がまだたくさんあります。当時、ユダヤ系の人たちはこのエリアに住むことが許されず、物件を買うことも許されていませんでした。この地域の人たちは、低所得者用住宅も絶対に建てさせませんでした。最近は、Corona(ジャクソン・ハイツの隣のエリア)に住んでいた黒人たちが転出し始めていて、代わりにエクアドルやドミニカ共和国、コロンビアやメキシコからの人たちが入ってきています。そういう動きを見ていて、今やりたいと思っているのは、たとえば公共図書館で何が起きているのかを書くことですね。いまだに黒人の読者に合わせた運営をしているところがあるけれど、実際には地域が変わってきているので。図書館もジャーナリストも、変化に対応しないといけないですよね。


私は、クイーンズはニューヨークの未来だと思っています。建設プロジェクトや新しい建物、移り住んでくる多様な人たち…クイーンズは本当にいろいろな仕事が生まれる場所です。それがクイーンズをすごくユニークな場所にしています。ラティーノについて言うと、いまラテン・アメリカでは多くの国が荒廃していて、それがさらに多くの移民が来ることににつながっています。そのラティーノの移民たちが新しいビジネスを開いて、地域を変えているんですよね。


ジャクソン・ハイツの、アジア系の店が多い広場で。



”ラティーノはみんな同じ!”

Q.ラティーノっていうのはどんな人たちなのですか?
A.実感しているのは、ラティーノの人たちは、だいたいみんな同じですよ。みんな働いて、責任感があって、楽しんで、同じ言葉を話すでしょ。同じ言葉を話すだけじゃなくて、サルサやサッカーも好きです。

ハビエルさんは、私たちのテーブルを担当していたウェイトレスを例に出しました。


あのウェイトレスの女性は、1週間前にベネズエラから来たんですよ。だからメニューの内容をまだ把握できていないと言っていました。ベネズエラから来た彼女がメキシカン・レストランで働いていて、私はコロンビア出身ですが、みんな何の問題もなくコミュニケーションできるんですよ。Queens Latinoは、ラティーノのコミュニティを一つにしたいと思って戦っているんです。そうしないと、常に、多くの勢力が私たちをバラバラにしようとかかってきます。いろんな人たちが「ラティーノの中にもいろいろある」とか「ラティーノ同士もお互いのことを理解していない」とか言いたがります。でも、そういう人たちこそラティーノをわかっていないんです。


ラティーノはみんな同じ、という宣言にはものすごく興味をひかれました。私はジャーナリズム・スクールのラティーノの友人たちから、ラテン・アメリカの国々の違う歴史やスペイン語のアクセントのいろいろを聞いていたからです。たとえ統計上で「ラティーノ」とか「ヒスパニック」と呼ばれても、本人たちは違いを強調したいのだと思っていました。しかしながら!さらにハビエルさんの話を聞いていくと、なぜこの「同じ」というアイデンティティが大切なのか、見えてきました。


Q.2020年にはどういう取材に力を入れますか?
A.選挙が大切ですね。今年はクイーンズの区長の選挙があります。それからアメリカ大統領選の予備選と、大統領選挙と、合計3つも選挙があります。クイーンズ区の政治も、ラティーノの政治家が当選するようになって変わってきています。それから、国勢調査も大切ですし、移民問題はもちろん、この国で一番重要な問題です。


2月号の記事「2020年は挑戦者の年」という社説で大統領選挙への注目、国勢調査への参加を呼び掛けた。

中央アメリカの国々はいま大変な苦境にあって、だから流入してくる移民が絶えないんです。でも、アメリカにいる私たち、あるいはメディアが移民問題を見る目は、完全に間違っています。壁を作っても移民は減りません。移民をコントロールするには2つのステップが必要です。1つ目は、アメリカが中央アメリカで長年多くの問題を作ってきたことを認めること。独裁政権を支持して、資源を盗んできました。2つ目は、こうした国々のインフラ作りを助けることです。学校や病院とかね。それが移民のキャラバンを止める唯一の方法ですよ!

これを聞いたとき、私は、西アフリカのトーゴ出身の友人との会話を思い出しました。ヨーロッパの国々がいかにアフリカの政治を操作し続け、今にいたるまで天然資源の取引で人々から搾取しているか。でも、多くの国では国内に部族間の争いが絶えず、一つに力をあわせて戦うことができないのだと。そういう「一つになれない」構図や、それに対するフラストレーションは、黒人の権利を訴える人権活動家や、日本の若い女性たちに避けられてきたフェミニストたちのものと同じだと感じました。

社会を変えるためには、一定の数、大きな数の人たちが同じ目標に向かって動かないといけない。だからこそ、ハビエルさんは「ラティーノはみんな同じ」と言ったのだと思います。


ラティーノのメディアは豊か!
ある調査によると、アメリカには600以上のヒスパニック/ラティーノのメディアが存在します。その中でなぜQueens Latinoだけ見るの?と言われれば、たまたまご縁があったとしか言えません。ほかにも、ハビエルさんが働いていたEl Diario La Prensaという1913年創刊の日刊紙や、Univision(ユニビジョン)というヒスパニック家庭の9割が見ているというテレビ局もあります。

最近の面白い動きとしては、ラティーノの次世代に向けたバイリンガルメディアが出てきていることがあります。Mitu(ミツ)は、英語主体で生活をしているが、ラティーノのアイデンティティを維持している若い世代に向けて作られています。見やすいのでぜひ、読んでみてください。ラティーノのコミュニティの声を聴いて英語の読者に届けようという動きもあります。

研究もけっこうあります。リンクつけますね。
ニーマン・ラボによるラティーノ・メディア概観の記事
デモクラシー・ファンド財団によるヒスパニック・メディア概観
The Craig Newmark Graduate School of Journalism at CUNYがヒスパニック・メディアの現状をまとめたもの。(地図もあり)


El Diario La Prensa などのメディアを運営するImpremediaの副代表、ラファエル・コレス(Rafael Corse)さんによると、ラティーノは大きく言って4つのグループに分けることができるといいます。(ハビエルさんは分けないでと言っていましたが、これはあくまで言語の話)。


ラファエルさん自身はなんとスペイン人

4つのグループとは、
①スペイン語のみ話す人たち:自分で移民してきた移民1世
②スペイン語が優勢な人たち:自分で移民してきた移民1世や、家族のつてで来た1.5世
③英語が優勢な人たち:移民2世
④英語のみ話す人たち:移民2世以降。

ラファエルさんは、今後は③④のグループが増えていくだろうと話していました。この図式は、とてもシンプルで、移民メディアが誰に向けて記事を書いてビジネスを展開しているのかを整理するのにいいなと思いました。


Rafael さんの図解を再現




長大な投稿になってしまってへとへとです。
読了、ありがとうございました!

髙田彩子 Ayako Takada

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